Story

熟れた果実の⽢い⾹りに誘われるように、私は、果てしなく⻑いその回廊を進んでいった。
⾵が⽴ち、アルノ川を渡りくる。その⾵は、テレべの川⾯をかすめてポポロ広場を横切り、私のコートの裾を揺らしたあのつむじ⾵よりも冷たく、鋭く、刃物のように冴え渡っている。


サン・ロレンツォ聖堂の晩鐘が鳴り響く中、私は⼤理⽯の階段を駆け上がってゆく。16 世紀から今まで、数え切れないほど多くの⼈々がこの階段を上がってゆき、また降りてきた。磨り減ったステップを⾏き交う幻影。ドレスのドレープのゆらめき、絹の靴下、柔らかな⽺⾰のブーツ。それらを追い越しながら、息を切らして、私は階段を上がってゆく。


招待状を受け取ったのは、三⽇前のことだ。ローマのサン・ルイジ・ディ・フランチェージ教会の薄暗い堂内から、暮れなずむ表通りへと出てきた時だった。
ひとりの若い⼥が私を⾒定めたように近づいてきた。彼⼥は眉間に深い皺を寄せ、冷たく硬い⾯持ちをしていた。つむじ⾵が⾚い巻き⽑を撫で、⽿たぶの歪んだ真珠のイヤリングをかすかに揺らして通り過ぎた。
彼⼥は無⾔で私に⽩い封筒を差し出した。⾎⾖のような暗い⾚の封蝋に、くっきりと〈C〉のひと⽂字が浮かんでいた。私は彼⼥の夜のみずうみのような瞳を⾒ようとしたが、彼⼥はすぐさま私に背を向けると、つむじ⾵とともに⽴ち去った。


罪びとになりたければ
三⽇後 午後7時きっかりに
ウフィツィ美術館へ来られたし
いちばん奥の「⾚の間」で待っている
                                                                                         ―バッカス


招待状は⽢い果実の⾹りがした。それをコートの内ポケットに⼊れ、私はフィレンツェへとやって来たのだ。


ずっとずっと追いかけて来た。ひとりの⼈物の⾜跡を。ミラノ、ローマ、ナポリ、マルタ、シチリア、またローマ、そしてフィレンツェ。これほどまでに狂おしく私を引きずり回す君は、いったい何者なのだ。
君はいったい、私をどこへ、どこまで連れていこうとしているのだ?


広⼤な美術館の奥へ、奥へと私は急いだ。途中で警備員に呼び⽌められる。もう閉館時間です、⾏ってはいけません…ちょっと、君、聞いているのか? おい、戻ってこい…やめろ、もう展⽰室は閉まっているぞ!
制⽌を振り切って、私は⾛り出した。
あの壁の向こうに、バッカスがいる。私を待っている。


豊かな⿊髪には葡萄の葉の冠、⽩⾐がするりとはだけて現れる真珠のように輝く柔肌、⾎だまりにも似た⾚いワインを差し出して悠然と微笑む。その艶やかな⾚い頬に浮かぶ誘惑、抗いがたい磁⼒。


すべては熟し、その果てに、すべては朽ちゆく。誰であれ、その運命から逃れられない。
ならば、いま。このひとときをともに過ごそう。
さあ飲め、さあ味わえ、恐るな。逸脱せよ、美しく狂え。
それこそが、⽣の証しなのだから。

© 2018 by ÉCOLE DE CURIOSITÉS

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