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Nina

見たかい、彼女を? ロンドンからやって来たつむじ風のような女の子を。
ゆうべのあの子は驚きだった。
夜な夜な仲間たちが集まるカフェ・ド・ラ・ロトンド。赤ワインと琥珀色のコニャック、タバコの煙の紫のカーテン。浜辺に打ち寄せる波のように湧き上がる笑い声。アコーデオン弾きが奏でるジャヴァの旋律に合わせて、あの子は颯爽と立ち上がった、民衆を率いる自由の女神のように。
それからあの子、どうしたと思う?椅子を蹴っ飛ばしてテーブルの上に飛び乗り、踊り出したんだ。一枚いちまい、身につけていた服を自分で剥ぎ取りながら。
柔らかそうなジャージーのジャケットを脱いだ。シルクのブラウスを捨てた。プリーツのスカートをすとんと落とした。
片方ずつ、するりするりとストッキングを取ってしまった。生まれたままの姿になって、彼女は踊った。その姿のまぶしさといったら!
男も女も、店じゅうの客が彼女の周りに集まって、指笛を鳴らし、手を叩いてはやし立てた。
どうだい、彼女の自由なこと! 誰ができるっていうんだ、あの子の真似を?
自分を縛りつけるものは全部捨てて生きる。そう思ったところで、それを実行する勇気が君にあるかい?


自由なんてただのまぼろし。不自由な人間が創り出した想像の産物。
そう思って、あきらめかけていた。――彼女に出会うまでは。
――何しに来たんだ、パリへ?
そんな質問に、彼女は短く切り揃えた髪を揺らして愉しそうに笑った。それから、こう答えたんだ。
――あたりまえでしょ。自由になるために来たのよ。


コクトーが言った。“美はぱっと見ただけじゃわからない。“――だけどあの子は例外だ。
モディリアーニが言った。“自分が生きていると感じない限り、君は生きてはいない。“――あの子はまさに生きている。
ディアギレフが言った。“鉄砲玉が遠くまで飛ぶのは方向が定まっているからだ。“――あの子は自分が行きたい方へ一直線に飛んでいく鉄砲玉だ。
ピカソが言った。“あの子はボヘミアンの女王だ。“――そう、そしてあの子は笑うトルソーだ。
モンパルナスに集う誰もが言った。
誰もあの子を止められない。新しい時代が自由へと続くドアを開けるのを、何人たりとも止められないのと同じように。


この世でいちばんの贅沢を、あの子が教えてくれた。
好きな時に、好きな場所で、好きな人と会うこと。好きなスタイルで好きな服を着ること。
好きな歌を口ずさみ、好きなリズムで踊ること。
好きなことを好きだと言うこと。そして、嫌いなものは嫌いだと言うこと。


彼女は誓った、この街、パリに。
どんなに不穏な空気が世の中を覆い尽くしても、決して奪われはしないと。
世界でいちばん美しい、自由という名の翼を。

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